俳優としてもタレントとしても隆盛を極めたマルチな才能で、独特の存在感や鋭く強烈なコメントで人気を博した山城新伍さん。
ブルーのサングラスときっちりセットされたヘアスタイル、どことなく漂う色気や品、不思議な怪しさが印象的でしたね。
そんな山城新伍さんですが、あるときから
最近見ないけれど何をしているの?
という状態になっていました。
そこで今回の記事では、独自の存在感を放った山城新伍さんを最近見ない理由、女遊びでやらかした事実、現在の活動内容をご紹介したいと思います。
山城新伍を最近見ない理由は?
山城新伍さんは、
として生を受けます。
生家は非常に裕福で、どことなく感じる品は生まれ持ったものでした。
高校卒業時、医者を目指して挑んだ大学受験に失敗して医師の道を諦めたものの、
といいます。
エキストラ活動を経て、
に駆け上がります。
「白馬童子」などを演じていた若き日の山城新伍さんは、
だったのです。
1970年代後半からはバラエティ番組でも人気を博し、以降はドラマ、映画、CM、バラエティとオールジャンルで大活躍していましたね。
トークも軽妙で、山城新伍さん特有の言い回しが生み出した
「チョメチョメ」「ホニャララ」
などの名台詞がお茶の間に浸透したことが鮮明に残っている方も多いでしょう。
これらのセリフは、
だったのではないでしょうか。
糖尿病の悪化で事実上引退
そんな山城新伍さんでしたが、
2005年に持病の糖尿病が悪化し入院、以降のタレント活動はなく、事実上の引退
となりました。
これが、山城新伍さんを最近見ない理由です。
老人ホーム入居と死去
その後は、
していました。
このことが、さらに最近見ない状態に拍車をかけていったのは言うまでもありません。
しかし、糖尿病の影響による著しい老化や心身の弱体化の影響もあって
2009年8月12日に誤嚥性肺炎により、70歳の若さでひっそりと息を引き取った
そうです。
昭和の1ページが、そっと閉じられた瞬間の寂しさは言葉になりません。
隆盛を極め、華やかで豪快なプライベートでも有名だった昭和の名俳優の一人が、このような最後を迎えるとは、誰が予想したことでしょうか。
陰ながら、山城新伍さんのご冥福をお祈り申し上げます。
山城新伍は女遊びでやらかした?
続いて、山城新伍さんが女遊びでやらかした事実を見てみましょう。
山城新伍さんは、
「豪快なプライベート」による家族との溝が大きかったのは事実
です。
ある意味では、昭和の役者がそうだったという側面もあるでしょう。
でした。
勝慎太郎さん、松方弘樹さん、梅宮辰夫さんなど名だたる昭和の名優にも同じことが言えますが、
映画やドラマ、舞台などで大きな人気と巨万の富を得て、夜の街と複数の女性にそのまま還元する
というプライベートを過ごした山城新伍さん。
妻である女優の花園ひろみさんを差し置いて
数々の女優や一般人女性と浮名を流し逢瀬を繰り返していた
ことは周知の事実です。
繰り返される不貞行為に、花園ひろみさんとは2度の結婚と3度の離婚を繰り返し別居。
しかも一時は、同じマンションの隣同士にての別居などという”奇妙な関係”を維持していた時期もありました。
もしかすると、これは花園ひろみさん側から人間性や素行の改善要求があってのことだったのかもしれません。
最終的には、
2008年8月の3回目の離婚で、妻の花園ひろみさん、娘で女優の南夕花さんと絶縁状態
となったのです。
南夕花さんは「便宜上父だが、父とは呼びたくない」と言い放ち、
山城新伍さんの葬儀に参列することはありませんでした。
身から出た錆びといえばそれまでですが、隆盛を極めた人気俳優の寂しすぎる末路でした。
ある意味では、山城新伍さんも時代が生み出した芸能界の闇に飲まれた一人なのかもしれません。
山城新伍の現在の活動内容を紹介!
そんな山城新伍さんの現在の活動内容は、
出演作品の再放送やビデオの中で確認可能
です。
東映時代や東映から独立してしばらくの間は、日本の映画の繁栄を支えた一人でもあった俳優・山城新伍さん。
その出演作品は、
でもあります。
近年の活動を直近で見ることができる機会は、
フジテレビにて2024年6月10日放送に再放送される「古畑任三郎」30周年記念の第8話(1996年)
となりました。
大切な弟子を守るために「遊び人である弟子の恋人」を殺害するマジシャン役は、とてもはまり役だったと思います。
なにしろ、遊び人の気持ちは山城新伍さんご本人が最もよく知るところです。
それをよく理解したうえでの敵役ですから、はまらないわけがないというところでしょう。
最後は、自らがジョーカーを引き当てることでその幕を静かに降ろした形となりました。
時代と歴史に爪痕を残した山城新伍さんの作品を、これからも見続けていきましょう。
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